第14回 : S さん 設計経験26年
機械・プラント製図 技能検定 1級
◆ ものづくりに興味があった
中学までは技術とか美術が好きで、将来は大工になりたいと思っていた。
技術では手書き図面はきれいだと褒められ、特別展示されることもあった。
大学は機械科で、ものづくりに興味があり、技術系の会社に就職した。産業機械の設計・製造を行っている会社で、工作機械のトランスファーマシンや専用加工機を設計・製造していた。
図面は2年間ほど手書きだったが、すぐにCADが導入され、それ以降はCADでの製図となる。
◆ バラエティある産業機械の設計を経験
最初のトランスファマシンの設計は手書きで、ワークをどのように運ぶかが難しかった。
その後のマシニングセンターのATC(Automatic Tool Changer:自動工具交換装置)からはCADでの設計になる。
当時はATC機構が丁度チェーン方式からマトリックス方式に変わる時期で、ツールの交換速度は随分速くなった。
ツールホルダーの板バネの寿命確認を行う試験装置なども設計した。
ところがその会社が倒産して、派遣先で一緒に働いていた人から誘われてアルパイン設計に入社。
最初はカップ麺のシール機の開発を担当。
複雑な動作をカム機構で制御するもので、メカ設計の原点のようなもの。
その後は、前の会社で行っていた工作機械のトランスファーマシンやマシニングセンターの仕事を継続して行っている状況。
人のつながりや仕事のつながりに関して、不思議な縁を感じる。
◆ 多軸ヘッドのバランスウエイトの重量を計算ミス
失敗では、工作機械の多軸ヘッドと重量バランスをとるためにコラム内にウエイトバランスを設ける設計をしたが、スペースがない上に重量の計算ミスをしてしまい、バランス重量が軽くなって動作に支障をきたしてしまった。
仕方がないので、急遽バランス材をSS材から鉛に変更して対応。
また、マシニングセンターの設計では、ツール交換のカムを油の中に浸漬するのだが、容器の設計がまずくて大量の油を必要とすることになってしまった。
あとで “容器とカムのすき間を最小限にする形状にすれば良かった” と反省した。
◆ 失敗を自分で部品製作して対応
設計でミスした時は、工作現場へ行って自分で部品製作して対応したこともある。
今では許されないことであるが、当時は管理が厳しくなくて許された。
それも現場経験があってできることであり、最近の若手設計者は現場作業を知らないため逆にかわいそうに思う。
また、マシニング装置の設置や不具合対策で1~2回/月で東京などに出張したこともいい経験になった。
お客様とのコミュニケーションの取り方など、いろいろ学ぶことも多かった。
あるとき広島に行く必要があり、小松空港から広島に向かったが、飛行機が20人乗りのプロペラ機で揺れがひどく、今ではできない貴重な経験をさせてもらった。
◆ 新人教育に力を注ぎたい
これからは若手の育成に力を注ぎたい。
最近、2D図面から立体図を想像する力が落ちているように思う。
形が見えないと設計もままならないので、図面を読み解く力を指導していきたい。
技能検定の取得も推進し、全体のレベルアップを図って行きたい。
新人には、尊敬する(お手本とする)先輩の真似をしながら、自らも覚えていく努力をして欲しいと思う。
◆ 座右の銘 : 「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格はない」
自分に当てはめてみて何となく共感するところがある。
そのほか、歌の歌詞だが、「空に吠えろ、風にうろたえるな、火よりも熱く、水に飲み込まれず、土をしっかり踏みしめて!」 というのも心に沁みる。