第55回:Tさん 設計
◆ 若いときから問題児
私が某会社に入社したのはオイルショックの頃で、会社自体の業績も芳しくなく、入社したての1年は機械加工の現場で働くことになる。
当時の会社はスーツ・ネクタイが正規の服装で、守衛さんが機械加工の現場作業者にもネクタイをして出勤するように強要していたので、守衛さんと 「現場にネクタイなど意味がない」 と言い争いしていた。
また、当時の出勤は8:00始まりなのに、私のタイムカードは7:57~59分の3分以内。人事に呼ばれて「車通勤なのに何でそんなに正確に出勤できるのか?」 と嫌味を言われながら、もっと早く出勤するように促されたりもした。
もともと仕事は、ある程度の生活費を稼いで、あとは好きなことをすればよいという考えだったので仕事にはあまり身が入らなかった。
◆ 設計の苦しさで辞めようかと考えたこともしばしば
1年後に設計に移ったが、私の態度は相変わらず。
最初の仕事は海外製品を自社製品として改造設計するものだが、部品の隙間を縫うように設計しなければならず、思った設計ができずにたいへん苦労した。
当時の設計の残業時間は年間1,500時間。午後9時頃に家に帰ると、家族から 「今日は早いけど、どこか体でも悪いんか?」 と疑われるような状態。
忙しさのあまり自由時間がほとんどなく、製造ラインのサポートもあり、いつ何時緊急招集があるか分からないため、自分の予定も全く立たない状況。
社内の生産管理からは設計変更の度に激しく叱責され、製造・試験ラインからは作りにくいとか品質が保てないなどのクレームで、やいのやいのと厳しく攻め立てられた。
「何でこんな苦しい思いをして仕事しなければならないのか?」 と常に疑問を持っていたので、辞めようかと考えたこともしばしば。
◆ 磁気ディスク装置の設計で仕事観が一変
それでも何とか耐えられたのは、次のような某磁気ディスク装置開発メーカへの出向経験があるため。
入社3~4年目のことで、期間は約1年半。
当時の磁気ディスク装置は、直径16インチ(約400mm)でメモリ容量はたったの2MB。
IBMが技術先行しており、ちょうどWinchester Technologyという最新の技術が発表された頃。
この技術は、磁気ディスク(円盤)が回転することによって生じる風で、ディスク上にあった磁気ヘッドがゆっくりと離陸浮上するというもの(Contact Start Stop)。しかも、その浮上量はサブミクロンの世界。
(※現在では0.01μm以下であり、これはヘッドをジャンボ機に例えると浮上量は1mm未満になる)
表面粗さだけでもその値をはるかに超えるのに、このような浮上量でヘッドクラッシュが発生しないのが不思議だ。
正直、この技術を知った時はすぐには信じられず、大変な感銘を受けた。
すごい技術で、自分が開発担当者だとしたら、こんな発想は思いもつかなかったであろうし、それを実現するための知識も技術力もなかった。
当時はIBMに追いつけ追い越せとの意識が非常に強かったが、自分の中でも初めて 「負けてたまるか! 世界に通用する技術開発をしなければならない!」 との思いを強く抱いた。
◆ 業界の技術開発スピードのすごさを実感
そのほか、トラッキング(軌道追跡)サーボ技術やデータの読み書き技術の進歩で、磁気装置のメモり容量のアップは目を見張るものがあった。
当時、容量の単位であるBPI (bits per inch)、TPI (tracks per inch) には限界があると言われていたが、みるみるうちにその限度を超えてしまった。
そればかりか、当時開発装置サイズの1/2の8インチサイズ、さらには5インチDisk装置が出始めたと思ったら500円玉サイズDisk装置の試作機が登場し、サーボ方式もセクタサーボになるなど、 たった1年半の間に新技術が次から次へと登場し、あらためて技術革新の速さを肌で感じるとともに、自分がいる業界のすごさに感心した。
これまで自分がいる業界がどのような状況なのかよく知らずに仕事をしてきたが、この開発を通して世界相手の業界の中における熾烈な競争を実感し、 とにかく自分を含めて全体の技術力を上げないと完全に振り落とされて追いつけなくなってしまうと感じた。
◆ 世界に通用する技術の開発
それ以降は、自分が開発する装置では、独自の発想で誰もやっていないこと、誰にも負けない世界に通用する技術開発を行おうと心に決め、これが自分の開発思想の原点になっている。
不思議なことに、このような考えを持つと、あれだけ嫌だった残業もそれほど苦ではなくなった。
残念なことに磁気ディスク装置の開発は途中の段階で、元の会社の新製品開発のために呼び戻されたが、その後も自分の中では上記経験がすごく役に立った。
会社に戻ってからの各種製品開発の中でも、独自開発の意識を強く持っていたので、業界初や世界で初めての技術をいくつか世に出すことができ、特許・実用新案も100件近く出願した(登録は半分ほど?)。
◆ めぐり合いに感謝と設計者としての誇り
自分の中では、磁気ディスク装置開発にめぐり合わなかったら、相変わらずのほほんとしたサラリーマン生活を送っていただろうと思う。
自分が開発した技術で他人に感銘を与えるようなすごい技術はないが、それでも必死で夢の中でも考えた技術が製品に使われて役に立っているのを見るのは、たいへん感慨深いものがある。
しかし、世界で初めての技術であっても製品化に至らなかったものもある。
開発規模が大きく、同業の大手企業からは 「いくら優秀でも、この人数では無理だ」 と言われていたものを、何とか製品化直前までもっていったが、経営判断により中止になったもの。
それでも、世界の名立たる企業と技術的な交流をもつ ことができ、自分たちの技術が注目されている
ことには設計者として誇らしいものがあった。
また、この開発に携わった技術者の頑張りもすごかった。新人も即設計させるほど人手が足りなかったが、その新人が午後11時頃に帰宅し翌日の1時に出勤のタイムカード押しているのには驚いた。
会社に出勤すると、女性の設計員が机で寝ていることもあった。朝方に帰り、家でシャワーを浴びて、寝たら遅刻すると思い、そのまま会社に来たようだ。
現在だと過重労働で懲罰ものだ (当時も警告があった) が、それでも職場アンケートの結果はすごく評価が高く、みんな“世界初”を目指して必死に頑張っていた。
多くの人が見学に来たが、「この職場は活気がありますね!」 とか、また、一流企業の技術者からは「当社の100人の技術者よりは、ここの10人の方がはるかにすごい!」 と称賛された。
製品化はされなかったが、人材育成という意味では大変な効果があったと思っている。
ただし、この人材を活かせるかどうかは経営者の腕にかかっている。